岩野響 経歴と生き方。コーヒー焙煎士へのきっかけはカレー隠し味【ホライズンラボ】

MY タイム

岩野響(ひびき)さんの職業はコーヒー焙煎士。

そして、元、自閉症。

 

僕は彼と出会い、

自らの病気も打ち勝つ力を頂きました。

 

 

自分に自信がなかったり、

ハンデともいえる境遇に悩む方々に、

 

響さんの経歴、やりたいことの見つけ方、

そして生き方を、ぜひご覧ください。

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★岩野響(ひびき)さん。職業:コーヒー焙煎士

やりたいことが見つからない。

居場所がない。

 

こんな悩みを持つ人は多いのではないでしょうか?

 

 

 

小学3年生で発達障害と診断された岩野響(ひびき)さん(16)は、

中学校での生活が合わずに不登校になったとき、

何もやることがなくて焦りを感じていました。

 

 

思いつくままに試していった結果、自分のやりたいことを見つけ、

 

今はコーヒー焙煎士(ばいせんし)として生きています。

 

 

★僕と岩野響さんとの出会い

 

 

僕が岩野響さんと出会ったのは、

カフェで何気なく手に取った「カフェ本」からでした。

(出会ったといっていいのか笑)

 

その身に背負った自閉症というハンデに、

 

僕は自分を重ね合わせてしまいました。

 

自閉症ではないのですが、僕はアトピーという病気。

結構、重度でした。

 

 

時には、

「もうどうなってもいいや」なんて腐っていたことも。。。

 

そんな中、

 

何でも挑戦して、「焙煎士」という天職を見つけ出した響さんに、

 

僕は感銘を受けました。

 

「やってみなきゃ始まらない。」

 

 

そんな僕は、今バリスタをやっています。

 

そのように大きな影響を頂いた、

 

響さんの人生をご紹介します。

 

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★岩野響さんは「できない」ことが多かった

 

群馬県桐生市の街を一望できる高台に、

岩野さんのお店「HORIZON LABO(ホライズンラボ)」はあります。

 

2017年4月、自宅の倉庫を改装してお店を作りました。

お店での販売はしておらず、

焙煎したコーヒー豆は、通信販売や群馬県・東京都内のお店で扱ってもらっています。

 

 

 

コーヒーに出会うまでは、「できない」ことが多い人生でした。

 

 

小学校のときは、

授業中に落ち着いて座っていることができませんでした。

 

 

各科目で出される多くの課題を、

期限内に提出するということが苦手でした。

 

 

中学校に入学すると、黒板の字をノートに書き写すことも、

宿題を進めることもできませんでした。

 

 

 

 

担任の先生は、

『宿題を1週間後に出してみる?』

『友達のノートを写してみる?』

 

と言ってくれたそうなのですが。

 

でも、友達の助けがないとまともにできないんだと、

とてもショックを受けたといいます。

.

 

★岩野響さんにとって、学校は合わない環境

 

岩野さんは小学3年生のときに、

発達障害のひとつ、

アスペルガー症候群と診断されていました。

 

ですが、医師からの勧めもあり、

両親から岩野さん本人に伝えられたのは中学1年生のときです。

 

 

 

<自閉症スペクトラムの主な特性>

 

・言葉のコミュニケーションが苦手

言葉の裏にある意味をくみとるのが難しい など

・人と関わるのが苦手(対人関係や社会性の障害)

目を合わせない、空気を読むのが苦手 など

・こだわりや興味に偏りがある

予定が変わるとパニックになってしまう、同じ動きを繰り返す など

 

 

ご両親はこのように語ります。

 

「ある日、響に伝えました日がありました」

 

あなたには「アスペルガー症候群」という、

脳の機能が一部うまく働かない障害があって、

そのせいで、他の人には簡単なことでも、できない場合がある。

 

 

板書の書き写しが難しいのも、それが理由。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ただ、初めは受け入れることができませんでした。

 

できないことがあっても、なんとか学校に行こうとする日々。

 

 

 

「誰でもできることができないのは、自分の努力不足だと思っていました。

でも、半年やってもできない状況が続いて、

さすがにどうしようもありませんでした」

 

「自分を見つめないと、生きていけないと思ったんです。

学校は、自分には合わない環境でした」

 

 

 

1年生の秋ごろ、父親から「1日だけでも休みなよ」と言われました。

 

1週間のうち1日だけ休んで、

ぽつぽつとは学校に行っていた岩野さんですが、

だんだん学校から足が遠のきました。

 

 

 

 

しかし、休んだら休んだで悩みが出てきます。

 

『学校という社会に属している岩野響』ではなくなり、

居場所や存在意義がないと思ったといいます。

 

「学校を休んだ最初の

1週間くらいはゲームをして過ごしていましたが、

自分って何だろう……と、

危機感を持つようになりました」

 

 

岩野さんには2人の弟がいます。

 

「2人は朝7時ごろになれば学校に登校する。

弟ができることを僕はできない。

 

・・・このままではヤバいという焦りがありました」

 

 

 

★岩野響さんコーヒーに魅せられた

 

両親に相談すると、「できそうなことをやってみれば?」と言われました。

 

図書館で本を読んだり、両親が経営する洋品店を手伝ってみたり、

お皿1枚を洗うことから家事を始めたり、電子工作をしたり、水彩画を描いてみたり……。

 

 

思いつくままに、毎日毎日いろんなことをしてみましたが、あまりしっくりきません。

 

・・・・

 

でも、コーヒーは違いました。

 

コーヒーに興味を持つきっかけは、料理です。

中学校に行かなくなってから、夕食を作っていたという岩野さん。

カレーの隠し味にインスタントコーヒーを入れておいしくできたことがきっかけで、

魅力にのめり込んでいきました。

 

 

 

小学生の時からコーヒーが好きで、

家にあった手動の機械でこっそりエスプレッソを入れていたという岩野さん。

 

学校に行けず苦しかったときにも、家族と話をしたり、

自分を見つめるときにはいつも手元にコーヒーがありました。

 

中学2年生の時、知人から手回しのコーヒー焙煎機をもらい、

焙煎してみました。

 

 

焙煎ってとても難しいもので、

「ハゼ音」という「パチ!パチッ!!」といった音を頼りに、

焙煎具合を見極めていきます。

 

 

焙煎中は、

コーヒーの炉の中は見られませんので。

 

これは、とても難しい技術です。

 

 

 

「おいしいコーヒーを片手に話し合う時間が毎日あったので、

自分で作ってみたいなという思いもありました。振り返ってみると、

その時間があったからこそ、今があると思います」

 

 

最初は、お店で飲む味とはほど遠い出来。

おいしいコーヒーを作りたい、とやる気に火が付きました。

 

 

「何も考えないで飲んでいるとただの茶色い液体なのに、

自分でやってみようと思うと、

焙煎も入れ方も奥が深いと気づきました。毎日毎日新しい発見があります」

.

 

★ 岩野響さん できることがどんどん増えていく

 

「できる」ことが増えた1年半

 

開店から約1年半。最初は両親に頼んでいた豆の発注作業も仕事のメール対応も、

今は1人で担当しています。

 

両親への申し訳なさもありましたが、

1人でも生きていけるように「自分でやらないと」と思っていたそうです。

 

小さなことから少しずつ自信を持つことができた岩野さん。

 

 

「できない」が多かった小中学校のころがうそのように、

今では「できる」ことが増えました。

 

 

「やりたいことは即やろう!」

が僕のモットーだったりしますが、

 

できることが増えるほど、

 

パレットに色々な色が準備されるように、

 

人生にも彩りは豊かになると感じます。

 

 

 

コーヒー屋として忙しくも充実した生活ができるようになり、

あんまり障害ということが気にならなくなりました。

 

 

幸運なことに、自分の好きなことを仕事にさせてもらっているので、

何も障害がないんです。

 

 

 

コーヒーを極め、今後も一筋でやっていくのかと思いきや、考え方は柔軟です。

 

人生観について、このように語っています。

 

 

「今はコーヒーだけど、5年後違う仕事をしていてもいいと思うんです。洋服作りにも興味があり、リサイクルショップで買った服をバラして、自分で洋服を作ることもします。僕は、軽い気持ちでいろいろやってみたら自分らしさが発揮できるようになりました。とにかくやってみることが大事なのかな」

 

 

これから、同じように悩む人々の希望になって頂けると

とてもうれしく思います。

 

読んで頂きありがとうございます。

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